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東京高等裁判所 昭和26年(う)3769号 判決

控訴人 被告人 小宮山一巳 弁護人 柿原幾男

検事 寺田輝雄(被告人山来秀雄関係)

検察官 稻川龍雄関与

主文

被告人小宮山の控訴を棄却する。

原判決中被告人山来に関する部分を破棄する。

被告人山来を罰金三万円に処する。

被告人山来が右罰金を完納することができないときは、金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

当審における訴訟費用中国選弁護人菅井和一に関するものは被告人小宮山の負担とし、国選弁護人小野田六二に関するものは被告人山来の負担とする。

理由

本件被告人小宮山一巳の控訴の趣意は別紙同被告人の弁護人柿原幾男作成名義の控訴趣意書と題する書面の通りであり、検察官の被告人山来秀雄関係判決に対する控訴の趣意は別紙横浜地方検察庁検察官検事寺田輝雄作成名義の控訴趣意書と題する書面の通りであり、これに対する被告人山来秀雄の答弁は別紙同被告人の弁護人小野田六二作成名義の答弁書と題する書面の通りであるからいづれも本判決末尾に添付し、これ等に対し当裁判所の判断を順次説示する。

(被告人小宮山一巳の弁護人柿原幾男の控訴趣意に対する判断は省略する。)

検察官検事寺田輝雄の被告人山来秀雄関係判決に対する控訴趣意について。

検察官の控訴の趣意として論ずるところは、要するに原審判決は法令の解釈を誤り、仍てその適用を誤つた違法があるというにある。仍て所論に鑑み原判決が被告人山来に対する公訴事実の判断として同被告人の所為を罪とはならないものとしておる理由について案ずるに、原判決はその理由の前段において「被告人山来は昭和二十六年五月十一日頃の午後八時三十分頃、横浜市西区岡野町百五十二番地先道路上において、何人も所持することができない麻薬ヘロイン末約〇・六グラム(一包入)を所持したという点は同被告人に対する司法警察員の現行犯人逮捕手続書、同差押調書、警察技術員阿達憲の依嘱物件の鑑定についてと題する書面、被告人両名の当公廷の供述によつてこれを認めることができる。しかし右各証拠によると被告人山来が右麻薬を所持するに至つたのは司法警察員の詐術(トリツク)に陷つたものであることが明らかで、すなわちその約一時間前の同日午後七時半頃、麻薬中毒患者を装う婦人警察吏員上原恒子から麻薬を売つてくれとの申込をうけ、警察吏員とは知らずにこれを承諾して直ぐに相被告人小宮山方に行き、同人より右の麻薬を買受けて自宅前まで持帰つたところ、待ちうけていた警察職員に現行犯として逮捕せられ、所持の麻薬を押収せられたものであつて、このような捜査のやり方は犯罪の予防及び鎭圧を職責とする警察職員が一面において犯罪捜査の必要があるからと言つて他面新たな犯罪の実行を誘発するような陷穽を設けて犯罪を実行させ、堂々と犯人を製造しておきながら直ちにこれを逮捕して処罰するとの非難を免れず、このような措置は主権在民の近代的文化国家においては到底これを認容することはできない。およそ国政は国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し云々その福利は国民が享受するという憲法前文竝に憲法第十三条の規定に違背しているから刑罰を以て処罰することができないと説述し、更にその理由の後段において麻薬取締法はその立法の目的のため、その取締の対象を単に切迫した具体的な危害発生の場合に止まらず、このような危害を生ずる心配のある段階(抽象的な危険性の段階)にまで遡つてこれを取締の対象としたものであるが、本件において被告人山来は警察職員の設けた穽の中に落ち込んでおり、彼の行為は見えない糸で操られ、彼の取得する麻薬は押収すべく万全の手配が講ぜられており、彼がこの陷穽に気がついて逃げだせば穽の外に出ることは不可能ではないかも知れないが、気がつかずにいる限りは彼が入手して持参する麻薬には前記の抽象的危険は客観的に取除かれているから、被告人山来の所為は罪とならない」と説明しておるのである。

然しながら右原判決の前段の理由として説述する点に関し原審において取調べた証拠である被告人山来に対する検察事務官の第一回供述調書には被告人の供述として「私は現在横浜市西区久保町通りで洋品露店商をして居りましたが、最近は商売がうまく行かずその上風邪を引いて家の中に引込んで居ります。五月七日の午後四時頃横浜市浅間町隣保館裏あたりに住んでいる私の毋の知人の小宮山というおばさんが一人で私方に訪ねてきて、私の枕元で実は麻薬があるが誰か欲しい人があつたら売つてくれ、値段は五百円包と千円包の二種類あると言いました。しかし私はあまり気も進まなかつたし小宮山さんはモヒとかヘロとか言つて居り、私も麻薬については少しばかり知識もあり、こんなことをしては危いと思つたので欲しい人がきたら買いに行くと答えておきました。ところがその後五月十日の夕方午後六時三十分か七時頃、私が前に露店を出していた時パンツなどを買つて貰つたことのある親しくしているお客様の俗称文ちやんという年齢二十二、三才の男が私方に訪ねてきて、大分店を出さないがどうしたんだ作業ズボンを見せてくれと申しましたので、ズボンを見せてやりましたその時私は小宮山さんの話を思い出し、実は麻薬のモヒとかヘロとかいう薬があるがこんな薬はパンパン等が使うらしいな、誰か欲しがつている人はいないかなと話しました。すると文ちやんはそれは本当か、もし本当にあるんだつたら俺も欲しいから分けてくれと申しますので、薬は今ここにはないが知つた人が持つていると言うと、寝ているところ悪いが買つてきてくれないかと言いました。私は小宮山から始めて話を聞いた時には別にあてにもしていなかつたのですが、現実に買う人が出てきたのでそれまで商売も休んで居り、収入も一銭もなかつたので生活は苦しく、なんとか生活費の一部でも捻出しなければと思い麻薬の売買によつて多少なりとも利益を得ようと決意したのであります。それで毋に頼んでこの間の話の品物を買いに来たと言えば判るからと申向け小宮山のところに行つて貰いました。三十分ばかりして毋は帰つてきましたが文ちやんは待ちきれず明朝くると言つて先に帰りました。私は毋の持つてきていた何にも包んでない、むき出しの三角の薬包紙に包んだ白い粉を一包受取りましたが、毋は私に渡す際にこの包は千二百円ですから千五百円に売りなさいと言われたと申しました。私としてはこの取引をすれば三百円の利益が上るわけです。翌日正午頃文ちやんが千円持つてきましたので財布に入れておいた右の薬を売りました。お金の足りない分は十二日に持つてくると言つて居りました。小宮山にはその日の二時か三時頃毋に頼んで文ちやんから貰つた千円と、自腹の二百円を足して持つて行つて貰いました。その日即ち十一日午後六時半か七時頃にどこか知らない女の人がきて、始め毋と薬の話をして居りましたので私が玄関に出て、久保町からきたのですかと聞くと、そうだ売つて下さいと言いますので、早速自転車にのりその女から千円貰つて小宮山のところに行き千円のを一包下さいと言うと、小宮山は千円のはないがこれは昨日のと同じもので千二百円の包だと三角の包一包を出してこれは千五百円で売るやつですよと教えてくれましたが、私は千円だけ払つて残金はあとで払うと言つて貰つてきたのです。この時の麻薬包は先のと同じ白い粉で包み方も同じ三角でした。私はこの薬は麻薬でありこのような麻薬を売買したり、所持したりしてはならないことはよく承知していました」という趣旨の記載があり、また原審第一回公判調書中に、被告人山来の供述として「私は五月十一日午後八時三十分頃、ヘロイン末入包を持つているところを自宅前道路上で警官に捕りましたがその四、五日前から体の具合が悪くて寝て居りますと、十一日午後八時頃女の人がフラフラしたような格好でやつてきて、薬を売つてくれないかと言うので、その人は麻薬の中毒患者だろうと考え浅間町の小宮山から買つてきてその女の人に千五百円位で売る約束をしたところ、その女の人は後に警官だと判りました」という趣旨の記載がある。これによつてみると被告人山来は本件で逮捕される数日前の五月七日頃、既に本件共同被告人小宮山一巳から麻薬を他に売却方をすゝめられ麻薬の売買又は所持をしてはならないことを知りながらこれを承諾し、欲しい人があつたら買いに行くと答え置き、その後同月十日頃に至り通称文ちやんなる者に麻薬を買う人はないかと尋ねて、その売却の斡旋方を依頼し毋を介し右小宮山方からヘロイン末一包を金千二百円で買い来つて、これを文ちやんに金千五百円で売却したこと及びその後も希望者に対し引続き右小宮山との約旨に基き同人の所持せる麻薬を売却してやり利益を得ようという確定的な意思が存在していたものと認められる。それ故にこそ本件逮捕の原因となつた麻薬の所持についても、婦人警察吏員上原恒子が麻薬中毒患者を装い被告人山来方に赴き、麻薬の売却方を申入れたのに対し被告人山来は直ちにこれを承諾し、自ら右小宮山方に赴き予ての約旨に基き同人より本件麻薬を受取り持参したのであつて、即ち右麻薬を同被告人が所持するに至つたことは、前記の小宮山から交付されて文ちやんなる者に譲渡した麻薬の所持行為と同一の犯意の継続せる一連の行為と認むべきであるから、右婦人警察吏員の行つた詐術は被告人山来が本件麻薬を所持するに至る一の機会を与えたものではあるが、これによつて同被告人の右麻薬所持の犯意及び実行行為そのものに関する意思決定を左右したものとすることはできない。更らにまた右婦人警察吏員は同被告人に対し麻薬の所持を教唆したのでもなく、その入手先を指示したのでもなく、また被告人を強制又は欺罔する等の手段を講じてもいないのであるから若し被告人山来において右婦人警察吏員の申入れを拒絶しようとすれば自由にこれを拒絶することができて、これに対し何等障碍はなかつたものと認められるのであつて、右のような場合に、若し麻薬の不正取引をする意図の全然ない通常人であつたならば右申入れに応ずるようなことはなし得なかつたものと考えられる。それ故に結局右被告人の所為を以て専ら警察官の作為に基いて行はれたものと推断することは妥当でない。惟うに警察官は国民の生命身体、財産の保護に任じ犯罪の捜査、被疑者の逮捕及び公安の維持に当ることを以て責務とし、その活動は厳に法律の定むる所に従い右責務の範囲に限られるべきで、その犯罪捜査に当つてもいやしくも日本国憲法の保障する個人の自由及び権利の干渉にわたる等その機能を濫用することは許されない(警察法第一条)ものであることは論を要せない所であるから、如何なる事由があるにせよ警察官が国民に対し犯罪実行の機会を与えるようなことは犯罪捜査の手段としては適当でなく、殊に無辜の国民をして犯罪を犯さしめるようなことは絶対に許されないのであるが、本件のような麻薬事件においては、麻薬の不正な使用は人の健康に有害なばかりでなくその害毒は容易に社会の各層に伝播する特性があつて、国民の健全な社会生活を破壊し、公共の福祉に重大な悪影響を及ぼすことが明らかであるから、もしこの種事犯が発生した場合には迅速に、しかも徹底的にその犯罪を捜査し、犯人を検挙してその犯罪の根源を絶滅しなければならないにも拘らずその犯行は通常極めて隠密的に行われ、その数量は微量であり、且これを授受する者の間には普通犯におけるような被害者という者がないため、この種犯罪の捜査には格別の困難の存することは明らかである。されば麻薬取締法第五十三条は麻薬取締員は麻薬に関する違反の捜査にあたり厚生大臣の許可を受けてこの法律の規定に拘らず、何人からも麻薬を譲り受けることができる旨を規定しているのである。勿論この規定は一般の警察官には直接適用はないが、右説述する如き麻薬取締法の特殊性に鑑みるときは、前段敍説するような現に犯罪が行はれておる際に警察官がこれを探知し、その犯人を捜索逮捕するに当つて前記程度の手段を用いたことは違法とするには当らない。少くとも本件においてはこれを以て被告人山来の個人としての尊厳を犯して憲法の精神に違背したものと断ずることは正当でない。従て本件捜査が憲法の条規に反し依つて同被告人は刑罰法上の責任がないと断定した原判決は法令の解釈を誤つたものと謂うべきである。

次に原判決理由後段即ち本件が麻薬取締法自体において不法所持罪として罪とならない行為であるかどうかの点についても、麻薬取締法は前敍の如く麻薬の不適正な使用が人の健康に有害なばかりでなく、その害毒は容易に社会の各層に伝播する特性があり、国民の健全な社会生活を破壊し公共の福祉に重大な悪影響を及ぼす虞あるため、これを防圧する目的で制定されたものであつて、この目的を達するため麻薬の所持、輸入、製造、製剤、小分、施用、施用のための交付、譲受又は譲渡等の一切を政府の統制下におき、麻薬の不正取引一切を禁止しようとしているのである。而してその不正取引により現実に或は具体的に危険発生の虞ありや否やに拘らず、統制外における不正取引は一般的に危険が附随するものとしてこれを取締の対象としているのである(例えば譲渡、交付、施用等の目的なく単に所持しているだけでもその間に紛失し、又は他人に窃取せられることもあり得るから所持そのものには常に一般的に危険が附随するものと謂わなければならない)故に麻薬の不法所持罪の構成要件としては麻薬であることを知りながら、法定の除外事由なく(麻薬取締法第四条所定の場合は何等の除外事由も許されない)これを所持することによつて充足されるものと解すべきである。然るに原判決は麻薬の不適正な使用によつて生ずべき危害の生ずる虞、即ち抽象的危険が存在せず又は除去されているような場合には不法所持罪は成立しないと断じ、本件において被告人山来は警察職員の設けた穽の中に落ち込んでおり、彼の行為は見えない糸で操られ彼の取得する麻薬は押収すべく万全の手配が講ぜられている。彼が入手して持参する麻薬には前記の抽象的な危険は客観的に取除かれているから罪とならないというのであるが、前記の如く麻薬取締法は麻薬の統制外の所持は、一般的に原判決のいわゆる抽象的危険が附随することを前提として取締の対象としているものと解すべきであるから、本罪の成否を判断するに当つては右のような危険の有無を考慮に入れる必要は毫も存しない。原判決は麻薬施用の免許を受けた医師が麻薬を所持する場合は通常犯罪は成立しないが、もしその業務の目的以外のために所持するときは違法とされる(麻薬取締法第三条第二項)のは、実質上の根拠は具体的な危険があるためであると説明しているが、麻薬施用者の業務目的を以てする所持といえども、具体的な場合には必ずしも危険なしとはいえないし、業務目的以外の所持といえども具体的には必ずしも、危険があるともいえない筋合であつて、だからと言つて前者の場合に不法所持罪の成立を認め、後者の場合に犯罪が成立をしないということはできないのである。原判決はまた警察職員が犯罪捜査によつて押収した麻薬を所持しても犯罪とはならないのは、形式的には刑法第三十五条所定の違法性阻却の事由があるためであるけれども、実質的には抽象的な危険を考えることができないからであり、反対に抽象的危険の認められる限り不法所持罪の成立を肯定すべきものであると説明しているが、警察職員が犯罪捜査によつて押収した麻薬を所持しても犯罪とならないのは、正に刑法第三十五条所定の違法性阻却事由があるためで、具体的乃至抽象的危険の有無とは全く別個の問題である。また警察職員が犯罪捜査によつて押収した麻薬でも爾後これを正当業務以外に使用の目的で所持するならば、も早や刑法第三十五条の適用は排除される結果一般人と同様処罰の対象となるのであつて、具体的乃至抽象的危険の有無の問題とは関係がないのである。要するに原判決が被告人山来の麻薬所持の所為を罪とならないものと断じたのは明らかに麻薬取締法の解釈を誤り適用すべき法令を適用しない違法があると謂はねばならない。従つて原判決を正当とする小野田弁護人の答弁論旨も結局理由がない。

叙上説述する如く被告人小宮山の本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条によりこれを棄却し、尚同法第百八十一条第一項により当審における訴訟費用中国選弁護人菅井和一に関するものは被告人小宮山の負担とし、被告人山来に関する部分は原審が法令の解釈を誤り、適用すべき法令を適用しなかつた違法があり、この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかで検察官の控訴はその理由があるから刑事訴訟法第三百九十七条により原判決中被告人山来に関する部分は破毀を免れない。但し当裁判所は訴訟記録及び原審において取り調べた証拠によつて、直ちに判決することができるものと認めるから、同法第四百条但書により更らに次のように判決する。

被告人山来秀雄は昭和二十六年五月十一日頃の午後八時三十分頃横浜市西区岡野町百五十二番地先道路上において、何人も所持することができない麻薬であるヘロイン末約〇・六グラムを所持したものである。

右の事実は

一、司法警察員作成の被告人山来秀雄に対する現行犯人逮捕手続書

二、司法警察員作成の被告人山来秀雄に対する差押調書

三、警察技術員阿達憲作成の依嘱物件の鑑定についてと題する書面

四、被告人山来秀雄に対する司法警察員の第一回供述調書

五、被告人山来秀雄に対する検察事務官の供述調書(第一、二回)

六、小宮山一巳の原審公判廷における供述

七、被告人山来秀雄の原審公判廷における供述

を綜合してこれを認定する。

法律に照すと、被告人山来秀雄の判示所為は、麻薬取締法第四条第三号に違反し、同法第五十七条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項本文に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で同被告人を罰金三万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条に則り金二百円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項を適用し当審における訴訟費用中国選弁護人小野田六二に関するものは同被告人の負担とする。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 小中公毅 判事 渡辺辰吉 判事 河原徳治)

横浜地方検察庁検察官検事寺田輝雄の控訴趣意

原審判決は被告人山来が何人も所持することが出来ない麻薬であるヘロイン〇・六瓦を所持するに至つたのは司法警察職員の詐術(トリツク)に陷つたものであると認定してこの様な捜査のやり方は

(イ)警察職員のトリツクが行われると否とに拘らず既に麻薬を不法に所持していた被告人小宮山の犯罪発見の方法としては有効適切で同人を処罰することは何人も異議はないこと。

(ロ)あらたな犯罪の実行を誘発する様な陷穽を設けることは許されないこと。と解釈し、その様な措置は、(イ)憲法前文と憲法第十三条に違背すること。(ロ)これを処罰することは右憲法の規定の趣旨に牴触すること。との理由によつて、また反面本件麻薬の所持は、(ハ)抽象的危険が客観的に除去されていること。との理由によつて、本件は罪とならずとして無罪を言渡したものである。併し原判決は左記の理由によつて破棄を免かれないものと信ずる。

第一点原審判決は「陷穽」に対する解釈を誤つた為、法令の適用に誤りを犯しその誤りは判決に影響を及ぼすことが明かであるので破棄を免れないものと思料する。

原審は警察職員が「新たな犯罪の実行を誘発するような陷穽を設け」たとし、これが憲法前文並に憲法十三条に違背し之を処罰することが右憲法の規定の趣旨に抵触すると判示しているがその謂わゆる「陷穽」とは如何なる内容を有する概念であるか何等説示するところがない。たゝ原判決の趣旨から見ると婦人警察吏上原恒子が身分を秘して麻薬を売つてくれと申込んだ事実を陷穽と解した如くである。陷穽(entrapment)とは英米刑法において今日通常用いられる語としては刑事訴追をするため或る者をして本来その意思のない犯罪を犯すよう挑発し誘惑し教唆することを意味する。而して犯罪を犯す用意ある又は意思のある者に対し単にその機会を提供することは陷穽ではないとされている(Black: Law Dictionary item "

然るに原審第一回公判調書中検察官の問に対する被告人の供述として、 問 被告人は小宮山から薬を何回買つたか。答 全部で三回買いました。問 右十一日以前に買つたときはどうしたのか。答 その時はフミちやんと称する愚連隊みたいな男に千五百円で売る予定で小宮山から千二百円で買い右の男から千円だけ受取つてヘロイン末一包を渡しました。その男は何処に住んでいるか存じません。との記載があり、原審に提出された任意性に争いのない検察事務官作成に係る被告人山来の第一回供述調書第四項中、被告人は小宮山から「実は麻薬があるが誰か欲しい人があつたら売つてくれ」と頼まれるや「欲しい人が来たら買いに行く」と答えた上五月十日の夕方俗称文ちやんが被告人方を訪れたとき「実は麻薬のモヒとかヘロとか謂う薬があるが誰か欲しがつている人はいないか」と申入れ、右文ちやんに「買つて来てくれないか」と頼まれるや、麻薬の売買によつて多少なりとも利益を得ようと決意した結果、自分では行かれないので毋のイヨに頼んで小宮山の処に行つて貰い、翌日正午頃に文ちやんが千円を持つて来たので毋親が小宮山方から持参して被告人の財布に入れて置いた前述の麻薬を売つた旨の記載、同様の証拠書類たる司法警察員作成被告人山来供述調書第九項、第十項における同旨の記載により本件被告人が利得のため麻薬を所持するの心理傾向を有しその常習性あるものであることは覆うべくもない。

右第一回公判調書中原審相被告人たる前記小宮山一巳の供述記載は本件公訴事実以前に被告人山来が麻薬を買受けたことがあるのを裏書するのみならず、原審に提出された検察事務官作成小宮山の第一回供述調書第四項並びに司法警察員作成右小宮山供述調書第十一項、第十二項及び第十四項によれば、本年四月末頃小宮山が被告人方に遊びに行つたとき被告人は「御ばさん仲間に頼まれたのですが白い薬が手に入らないかな。」と申し、その後小宮山が山本某から麻薬を入手するまでの間被告人は二、三回「未だ薬は来ないか」と催促し、五月十日の夜に至つて実毋を使者として小宮山よりヘロイン一包を代金千二百円を以て譲受けたことが知られるのである。而も本件公訴事実についても原審第一回公判調書には裁判官の問に対する被告人の供述として、問 いくらで買つて来たのか。答 一包を一千二百円の約束で代金の内一千円だけ支払い二百円は後から支払うことにしていました。問 その時に買つたヘロインをどうしようと思つたのか。答 一千五百円で売るつもりでした。との記載があつて、本件所為も亦利得のための常習的犯行の一駒に過ぎないことが明らかである。

このように被告人に麻薬闇取引の常習性あることを本件発生の当日に探知した捜査官は被告人を最初から麻薬事犯の容疑者として逮捕する目的を以て被告人宅に赴き婦人警察吏上原恒子はその身分を秘して麻薬を売つてくれと申向けたのである。要は証拠品を入手して逮捕することが目的であり、被告人本人の所持品を提出しようが他の隠匿場所より持参しようが関するところではなかつたのである。而も右婦人警察吏は「麻薬を売つてくれ。」と申出でたのみで他に何等積極的な指示はしていないこと原審記録上明らかである。若し右婦人警察吏が被告人に麻薬買受を申込んだ上、その入手先をも指示したり、被告人が手持品がないので売人の住所氏名を教えたに拘らず直接その売人から買つて来るよう被告人に依頼したりしたのであるならば、即ち被告人の所為の総体が他人の策謀の支配内にあつた情況であるならば或は英米法の謂わゆる陷穽に陷つたものとして所持行為の違法性又は被告人の責任を阻却するとの議論が成立するかもしれない。しかしながら本件において原判決の指摘する警察職員の謂わゆる詐術とか陷穽とかは単に買受の申込を為したに止まるのであつて、その間何等積極的な言動なく被告人は自ら本件所持を決意し、自ら行動を取つたのであり、決意以後の犯意の持続及び行動は右申込とは全く独立したものである。換言すれば右申込は被告人の本件麻薬所持に対する一つの動機たるに過ぎず被告人が右所為に対する決意を為すにつき一つの機会を供したものであるに過ぎない。爾後の事態の経過は全く被告人自身の支配圏内にあり被告人は自己の自由意思、自己の智識及び自己の行動能力に基いて行動したものなのである。従つて本件は若し通常人が被告人が受けたような方法で買受の申込を受けたとしても麻薬の不正取引の経路、所在、方法等の認識のない場合は仮令誘発されても犯し得ない犯罪である。これに反して本件被告人は右申込を受けると容易にこれを承諾し、申込者をその場に待たせ、直ちに何処よりか麻薬を持参して来て(原審相被告人小宮山一巳方より入手して来て)申込者に譲り渡そうとした。この点において被告人の行為は通常人を同一境遇に置いても通常同種の犯行に出でる必然性あるものと言うことはできない。本件所為は即ち麻薬の確実な入手先を知悉しており且つその知識に基いて何時たりともこれを所持し得る闇麻薬の常習取引者において初めて為し得るところである。従つて本件は何等罪を犯す意思のない被告人に犯意を生ぜしめて元来犯そうとも考えていない犯罪を挑発又は誘発したものと言うことはできない。却つて良い客さえあれば取引する用意のある又は意思のある被告人に単にその取引の機会を提供したに過ぎないものであると言うべきである。従つて原審が本件婦人警察吏の行為を以て「新な犯罪の実行を誘発するような陷穽を設け」たと為して憲法前文並に憲法第十三条に違反すると判示したのは元来「陷穽」でないものを「陷穽」であると解釈を誤つた結果法令の適用を誤つて本件は罪とならずと判示したものであるからその誤は判決に影響を及ぼすことも亦明らかであるといわなければならない。

原判決は米法にいわゆる陷穽の抗弁なるものを援用し、その学説判例が通説と認められているとするが果して米国の刑法上確定的な「陷穽の抗弁」なるものが一般的に認められているか否か疑問であるのみならず、その考え方を以つて直ちに民主的であるとするのは根拠のない独断である。現に米国においても禁酒法の下において警察官が証拠入手の目的を以て違法に酒類を販売している嫌疑ある者の店舗で酒類を購入することは陷穽にあらずとする判例〔People v. Scaduto, 301 Mich, 700,4 N.W.(2d)64 〕があり、阿片についても同様の判例があり〔Louve Huny V. U.S. 111F(2d)325〕更に囮"

要するに原判決は警察職員の単なる誘引を人を導いて犯罪を実行させた「陷穽」と速断した上、麻薬事犯の本質に対する洞察を欠き麻薬取締法の特質を理解することができなかつたため本件被告人の常習性を忘れ公訴事実の麻薬所持なる行為に促われてその特定の所持行為のみを眼中に置き「堂々と犯人を製造しておきながら他方直ちにこれを逮捕して処罰する」ものであるという素朴且つ無反省な感傷論以上に出ることができず、而もこれら具体的な行為が刑罰法上又はその他の法令上犯罪を構成するや否やの点については何等論議されることなく直接憲法前文及び憲法第十三条に結び付けた過誤を犯したものと評すべきである。

刑罰はこれを受ける国民の自由及び幸福追求に関する権利を束縛することは勿論であるが、さればとて憲法の右条項が処罰の要件を備えた犯罪者を処罰することを禁ずるものでないことは言を俟たない。問題は被告人の所為が処罰の要件を備えた犯罪であるか否かにある。

もとより国民山来は個人として尊重すべきであり同人の自由及び幸福追求に対する権利は公共の福祉に反しない限り最大の尊重を必要とする。しかしながら本件は右の如き憲法の規定や原判決が別に言及する官憲偏重の専制警察国家と主権在民の近代的文化国家との区別等とは何の関係もないものである。

以上の理由によつて原審判決は「陷穽」に対する解釈を誤りその結果飛躍して憲法前文、憲法第十三条を誤つて適用したものであるから之の誤りは之れなかりせば原審判決のような結論には到達しないのであるから判決に影響を及ぼすこと明かなものというべく従つて破棄を免れないものと信ずる。

第二点原審判決は法令の適用に誤りがあり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。

(一)本件の警察職員の行為が仮りに原審判示のように、「新たな犯罪の実行を誘発する様な陷穽をもうけた」としてもその行為は捜査行為として行はれたものであることは原審の記録上明瞭である。以下はその行為の適不適は刑事訴訟法上、又はその他の法令上検討されてはじめて適法な捜査行為か、又は当該行為の性質上捜査行為には該当しない違法の行為であるかゞ決せられるものである。従つて違法なものであれば、敢て原審説示の如く、わざわざ憲法違反を論ずるまでもないことである。適法な捜査行為であることが前提となつてこそ初めて本件の措置を適法な捜査行為として認めることが憲法前文並に憲法十三条等に違背するか否かの問題が生ずる筋合である。然し、この場合と雖も具体的行為が直ちに憲法上の問題となるのでなくして之を適法な行為とした刑事訴訟法その他の法規が原審が適用した、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」という憲法十三条の規定及び憲法前文に違背するか否かの点について問題として採り上げられるというだけのことである。

元来右の憲法の要請は、畢竟基本的人権の尊重ということであつて憲法三十一条乃至四十条は刑事司法制度に関し、その主要な点を具体化したものに外ならない。従つて之等は国の最高法規としての憲法の条規として、刑事訴訟を論理的に制約し、又はその解釈を指導する原理を示すものである。新刑事訴訟法は右の憲法の原理に従つて詳細に亘つて各具体的内容に渡つて訴訟手続を規定しておるものである。従つて前記の行為が直ちに憲法前文並に憲法十三条に違背するという原審の説示は如何なることを云はんとしているのか又、如何なる意義を持つものであるか諒解に苦しむものであるが、若し本件の具体的な捜査行為が直接憲法の法規に違反するという趣旨であるとするならば、原審の解釈では憲法の条規は具体的な当該行為の適不適、又は有効無効を規定したものであるということになり、その誤りは甚しいものと云はねばならない。従つて原審判決は法令の解釈を誤り憲法前文並に憲法十三条を不当に適用した誤謬を犯したものであつて、その誤りがなければ原審の判示のような結論にはならない事が明かな場合であるから判決に影響を及ぼすことも亦明らかであるといわねばならない。

(二)原審判決は本件の警察職員のとつた捜査行為を目し新たな犯罪の実行を誘発する様な陷穽をもうけることは憲法前文並に憲法十三条に違背し許されないと説示し、その理由として次の三点を挙げている。即ち、(イ)警察職員には被告人山来が本件の様な所為に出ることも充分に予見されていること。(ロ)その行為の一定の段階に於て必ず逮捕される様に仕組まれていること。(ハ)国家は一方に於て誘惑にかゝり易い人を導いて犯罪を実行させ堂々と犯人を製造しておきながら、他方直ちにこれを逮捕して処罰するという非難を免れない。と

捜査方法が適法か否かは訴訟法上、又は、其の他の法令上検討される筋合の問題であることは、前項に述べたところであるので、次に本件の捜査行為の適否について検討する。元来一般に警察職員に端を発して犯罪が発生したと云はれるものには、(イ)既に存在する犯罪又はその証拠の発見蒐集を目的とし、それ自体新たな犯罪を誘発しない場合。(ロ)捜査が新しい犯罪を誘発する場合。の二者が考えられるのであるが、原審は前者の場合については、「既に麻薬を不法に所持していた被告人(原審相被告人)小宮山の犯罪発見の方法としては有効適切で同人を処罰するには何人も異議はないが」と説示して原判決の謂うトリツク又は陷穽があつてもその捜査方法は合法であり犯人も有罪であるとしているが、何ぞ知らんこの場合といえども公訴事実として取り上げられてはいないが新しい犯罪が誘発されているのである。何となれば小宮山には本件麻薬を被告人山来又はその他の者に移転することによつて元来の所持罪以外に譲渡罪が成立しているのであつて「トリツクの主なる目的はどこまでも既に行われた麻薬事犯の発見捜査にあり」「被告人小宮山の犯罪のように警察職員の関与しないところにおいて行われた犯罪に対する関係で正当」であるがその他の場合は正当でない、という原審の説示は既にこの点において誤謬を犯しているのである。而して原審説示の本件の如く捜査行為が新しい犯罪を誘発すると推定される一般的場合に左の二つがある。(イ)検挙の目的である人物のみに新しい犯罪が誘発される場合。(ロ)検挙を目的とする人物の犯罪を新しく誘発すると同時に捜査官自身又はその使用する第三者についても犯罪の成立を免れない場合。前者の例は麻薬取締法第五十三条の場合及売主のみが処罰され買主が処罰されない当時の食糧管理法違反事件等であるし後者の例としては多少極端ではあるが捜査官が他人に殺人を教唆し犯行を行わしめて之を検挙する場合を考えることができる。前者の例として挙げた麻薬取締法第五十三条が設けられた理由を考えれば元来麻薬取締法は麻薬の輸入、製造、販売、所持、施用を厳重な統制下に置き、その統制の枠外の流通を絶体的に違反として禁止するが故にこの枠外の流通はそれ自体違法なるものであるが、而もかかる流通経路はその性質上当然に隠秘性を有するが故に、その捜査のためには買受又は買受けの申込というような手段が有効であるのみならず時としてはむしろ不可欠であるからに他ならない。蓋し右の如き流通は普通の刑法犯におけるが如く直接の被害者なるものが存在せざるのみか、その対象が微少であるから、これを発見捕捉することが極めて困難であるからである。即ち麻薬事犯の捜査における買受の申込というが如き方法は普通の刑法犯の誘引とは異り、既に潜在的に存在する犯罪を顕在にまでもたらすものであつて、換言すれば不可視的不可捉的犯罪を可視的可捉的犯罪たらしめるものであり、更に換言すれば立証し難き犯罪に立証しうべき明確な形態を付与する手段に他ならない。従つてこの趣旨に立つ限り、麻薬取締官が自ら買受人となり又はこの目的のために自己の手足として第三者を使用することも差支はないことであり、統制の枠外の麻薬の譲受は同法第三条によつて禁止されているに拘らず同法第三十二条によつて犯罪捜査のため特に麻薬の譲受け行為が許されている以上捜査官の右行為は刑法第三十五条によつて正当の業務に因り為した行為として右の方法により麻薬を所持するに至つても之に所持罪の成立しないことは前述の法意によつて言を俟たないところである。

右の場合此の反面として譲渡人については従来の所持罪の外に同法第三条の原則によつて譲渡罪が成立することも亦理論上明らかなところと云わなければならないのであるが而もこの場合譲渡人について成立する譲渡罪は捜査官の買受申込によつて新しく誘発された犯罪なのである。従つて原審の論理を以てすればこの場合においても当然憲法前文憲法第十三条に違反すべきであるが、その所論が誤謬であることは前述の理由と麻薬取締法第五十三条の趣旨並に本趣意書各論点に照らし多言を要しないものと思料される。前掲食糧管理法違反事件について同様な捜査方法が行われた場合にも事態は全く同様である。もつとも前述した麻薬取締法第五十三条の規定は麻薬取締官に対するものであつて、これがそのまゝ一般司法警察職員に準用されるか否かは更に検討を要するところであるが、それは暫く別としても犯罪捜査の性質を逸脱しない限り一般司法警察職員についても刑事訴訟法第一八九条殊に同第一九七条によつて「捜査に必要な取調」として本件程度のことは容認されて然るべきものと考える。以上のように之等の捜査行為は何れも新たに犯罪の発生を誘発してはいるが、刑事訴訟法又はその他の法令上之を違法とする根拠はないのである。後者の例が違法であることは言を俟たぬところである。動機が犯人の検挙にあるとしても犯罪を手段とすることは許さるべくもなく捜査官は殺人の教唆犯としての責任を負担すべき筋合である。而もこの殺人は捜査官の誘発によつて新しく成立した犯罪であるがこの殺人を無罪であるとする根拠があるであろうか。この様に違法手段(犯罪行為を手段)によつて犯人が検挙された場合においてすらこの犯人が当然無罪となる理論上の根拠は未だ発見に苦しむ処である。即ち捜査行為が正当でない又は違法であるということとそのような捜査行為の誘発によつて新しい犯罪が成立した場合に捜査官の責任と犯人の責任とは自ら別個の問題である。従つて前述(イ)(ロ)の事例に見る如く捜査行為が新たな犯罪を誘発するような陷穽(陷穽とは何をいうかについては論旨第一点に説明済)を設けた場合に捜査行為は総て違法なものとなるのではなくしてその性質によつて適法なものもあり、又違法となるものもあり得べく本件の捜査行為は前述並に論旨第一点に述べた理由によつても適法なものと謂はなければならない。而も仮りに違法と認められるものであつても訴訟法上又はその他の法令上違法となるものであつて、原審のように直ちに憲法の法規に違反するから違法となるものではないことは既に述べた通りである。従つて本件の捜査行為は「新に犯罪の実行を誘発するような陷穽を設けた」ことになるので憲法前文と憲法第十三条の法規に違背するから許されないものであるとしたのは、法令の解釈を誤り、結局法令の適用を誤つた場合に該当しその誤りは判決に影響することが明かな場合である。

(三)原審判決によれば「被告人山来の所為を刑罰を以つて処断すべきものとする見解は敍上憲法の規定の趣旨に牴触するから罪とならざるものである」と判示している。

依つて案ずるに第一原審の右の説示は如何なる意味か捕捉するに苦しむものである。その意味を曲解せぬように努力したとしても「処罰することは憲法前文憲法第十三条の趣旨に牴触するから罪とならない」と理解する以外致し方がないと考える。「処罰することは」と断つている以上一応犯罪は成立しているけれども処罰することが憲法違反になるという風に理解される。然しそれでは「罪とならない」ということが矛盾してくる。

判決の趣旨は罪とならないということであつて見れば、犯罪の構成要件を充足していないということである。然らば如何なる構成要件を充足していないから罪とならないというのであろうか。原審は此の点については何等説示していない。或は「処罰することは憲法前文憲法第十三条の趣旨に牴触する」という理由がその点の説示であるというかも知れないがそのような犯罪の構成要件が存在することは寡聞にして諒解出来ない処である。或は又「前記のような措置を正当と肯定することは憲法前文並に憲法第十三条の明文に違背し」と説示して本件の捜査行為を違法と解釈しているから、その点も前述「罪とならない」理由であるというかも知れぬが、捜査行為が違法であるからといつてその為に発生した犯罪が当然罪とならないという見解が誤りである所以は前述した通りであつて見れば此の点も前述の罪とならないという点の説明としては到底納得し得ないものである。元来一定の行為が犯罪を構成するか否かの問題は、刑法その他の刑罰法令によつて決せられる問題であつて、直接憲法の法規によつて決せられる問題ではない。単に憲法は国の最高法規である性質上その条規に反する法律命令詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は無効であるということが憲法第九十八条に規定してあるのである。従つて仮りに本件の捜査行為を適法とし或はそれによつて誘発された犯罪を有罪とした法令そのものが憲法の条規に抵触するか否かの問題は起り得ても具体的な当該行為の犯罪構成要件の成否について規定したものでない位の事は論ずる価値のない問題である。従つて本件においても被告人の行為が罪とならないか否かは刑罰法上犯罪の構成要件について検討さるべきものであるのに憲法前文並に憲法第十三条の問題として採り上げたのは原審が法令の適用を誤つたものといわなければならない。而もその誤りは之なかりせば原審の結論には到達しないものであるから判決に影響を及ぼすことも明かな場合である。

第三点原審判決は抽象的危険性に対する解釈を誤つた為、法令の適用に誤りを犯し、その誤りは判決に影響を及ぼすこと明かな場合であるから破棄を免れない。

麻薬取締法の窮極の目的は、麻薬の不適正な使用が人の健康に有害な影響を与えるから之を防遏しようとするにあるのであつてその害悪が単に肉体にのみ止まらず精神的道義的にも至大の関係があり、又容易に社会の各層に伝播する特性がある等の事情のため、その取締の対象を単に切迫した危害発生の場合に止まらず此の様な危害を生ずる心配のある段階にまで遡つてこれが取締の対象としたものとする原判決の見解は一応誤りとは云えない。然しながら原判決は行為の危険性に対する解釈を誤つたものである。

(一)先ず原判決の如く「切迫した危害」を具体的とし「此の様な危害を生ずる心配のある段階」を抽象的な危険性の段階と称することは、用語は各人の自由であるとしても、少くとも通常の講学上の用語法を濫用するものであり、従つてまた誤つた結論に導いている。蓋し通常の用語法として、具体的危険と抽象的危険とはその危険の現実的法益侵害に対する現実的距離の遠近を指すものではないからである。

事態を明確ならしめるため、法益の現実的侵害を要件とする通常の犯罪に対し法益の現実的侵害には至らないが、その危険のある行為を罰する場合を分類すれば左の三とする。(R.V.Hippeie Deutsches-Strafrecht, Bd II. S. 100 ff)(イ)健全な判断に照らし、その行為に当つて法益侵害の危険を生ずるもの。かくの如き危険が犯罪の個々の場合に必然的に存在することが特徴であつて、これを具体的危殆犯と称する。(ロ)一定の構成要件が実現すれば通常危険であるもの。立法者はかゝる構成要件を列挙して裁判所の仕事をかゝる構成要件の有無の単純な確定に限局するのであり、その際偶々具体的には危険のない場合が紛れ込み又は具体的には危険な場合を逸しても己むを得ないものとするのである。(ハ)個々の場合には何等の危険も発生しないけれども大量現象として見れば経験的にこれに重大な危険、又は侵害が附随するが故に法が刑罰を以て禁止するもの。此を抽象的危殆犯(Binding, Normen Anfl Bd. I s.372)と称せられる。

而して麻薬所持罪が右(ハ)の範疇に属するものであることは疑いないのであつて、行為の危険性の観点に立つとすれば麻薬所持罪は正に抽象的危殆犯である。それ故に麻薬所持罪にあつては個々の具体的な所持の場合に果して危険(その法益侵害からの遠近を問わず)が存在したか否かは問う所ではないのみならず、その所持なる行為がそれ自体法益侵害の危険あるものであるか否かも問題となり得ない。この意味に於ける抽象的危殆犯の存在は、原審の想像し得なかつた所であつて、原判決は抽象的な危険なる語を以て、単に現実の危害より遠距離にある危険を想定したに過ぎないが如くである。

(二)即ち抽象的危殆犯にあつては危険の存在は立法理由、換言すれば立法者がこれを処罰せんとする動機たるに過ぎないのであつて、現実的危険の存在はその構成要件でないのみならず処罰要件でさえない。立法者は斯くの如き行為に一般的危険が附随するものと思料してこれを犯罪なりと宣言したのである。抽象的な危険性の存在は麻薬所持罪の外に存する「当然の前提」ではなくして、寧ろ本罪に内在するその属性である。然るが故に個々の事案につき現実に危険があつたか否かを審理し、現実に危険がなかつたとの故を以てその行為を罪とならずとするならばそれは立法の趣旨を全く没却するものである。例えば同じく抽象的危殆犯に属する道路交通取締法に於る自動車の速度違反の如く、各個の具体的な場合には何等公共の危険を生じないものがあるが、具体的な場合に危険を生じなかつたとの故を以て同法違反の罪とならないとすることが出来ようか。

(三)されば原判決がその所謂抽象的な危険が存在せず又は除去されている様な場合には不法所持罪が成立しないとすることが出来ると立言したのは明白な誤りである。

原判決は被告人が入手して持参する麻薬には、その所謂抽象的危険は客観的に取除かれているとするが、若し本件に於て客観的に取除かれているものがあるとすれば、それは本件の具体的行為に附随する具体的な危険であつて通常の用語の意味に於る抽象的危険ではない。麻薬所持にあつてはたとえ具体的には危険がなくとも抽象的には危険は常に存在する。これ抽象的危険たる所以である。蓋し麻薬所持は譲渡の相手方又は更に譲渡されることあるべき人々に対する犯罪ではなく、それ自体が社会一般に対する犯罪であるからである。

(四)飜つて原判決の設例を見るに、麻薬施用の免許を受けた医師が麻薬を所持する場合は通常犯罪は成立しないが若しその業務の目的以外のために所持するときは、違法とされること正に原判決の説く通りであるが、麻薬施用者の業務目的を以てする所持といえども具体的な場合には危険な場合なしとせず、逆に業務目的以外の所持又は麻薬取扱者でない者の所持といえども具体的な場合には、危険のない場合もなしとしない。さればとて具体的な危険の有無を区別して場合により、麻薬施用者の業務目的の所持にも不法所持罪の成立ありとし、逆に業務目的以外又は麻薬取扱者でない者の所持に犯罪の成立なしとすることは出来ない。何となれば麻薬所持罪は法定されたものでありその危険性は立法に対して、高々動機として作用したに過ぎないこと前述の如くであるからである。而して本件の如く何人にも所持を禁止された、ヂアセチルモルヒネ及びその塩類についてはこの理は一層見易い所である。

(五)原判決の他の設例たる警察職員が捜査により押収した麻薬を所持しても罪とならないことは、刑法第三十五条所定の違法性阻却事由の存在を以て端的に解決すべきことであり、具体的乃至は抽象的危険の存否とは全く別問題であつて、正当業務による麻薬所持には偶々危険の存在しないのが通例であると云う偶然の一致があるに過ぎない。仮に警察職員の右の如き所持に危険(通常の用語法を以てすれば抽象的危険ではない)が伴つた場合にも、苟くも正当業務として所持するものである限りこゝに不法所持罪の成立を肯定することは出来ない筈であり、若し当該警察職員がその麻薬を正当業務以外に使用しようとしたならば別に何等かの犯罪が成立することがあるのは勿論であるが、それはその行為に右刑法第三十五条の適用を見なくなるが故に外ならない。

即ち原判決は犯罪に於ける危険性の意義を理解しない上、抽象的危険と現実的危険とを混同して、本件に於る被告人の麻薬所持にその所謂抽象的危険が取除かれていたから本件所持は罪とならないものと誤断したのであつて、法令の解釈適用を誤つたものであり、その誤りは判決に影響すること明らかと云わなければならない。

上叙の理由によつて原判決は破棄を免れないものと思料する。

弁護人小野田六二の答弁

控訴趣意書に於ては原審判決は「陷穽」に対する解釈を誤つた為め法令の適用に誤りを犯しその誤りは判決に影響を及ぼす事が明かであると主張し(1) 陷穽とは刑事訴追をする為め或る者をして本来その意思のない犯罪を犯す様挑発し誘惑し教唆する事を意味し犯罪を犯す用意ある又は意思のある者に対して単にその機会を提供する事は陷穽ではない。(2) 原審に於て被告人は利得の為めの常習的犯行者である事明かであり婦人警察官は「麻薬を売つてくれないか」と申出たのみで他に何等の積極的な指示はしていない。単に右申込は被告人の本件麻薬所持に対する一つの動機であるに過ぎず何等犯罪を犯す意思のない被告人に犯意を生ぜしめて元来犯そうとも考えていない犯罪を挑発又は誘発したものではない。と述べている。

(イ)被告人の本件麻薬所持は婦人警察官吏上原恒子がその身分を秘しふらふらした格好で麻薬中毒を装い且被告人山来の久保町から来たかとの念をおした質問に対してもそうだと答え、同人を安心させ麻薬を売つてくれと被告人に申込んだ結果同人が相被告人小宮山から受領して上原恒子に渡すべく所持したのである。即ち原審第一回公判調書中裁判官の問に対する被告人の供述として、問 その時買つたヘロインをどうしようと思つたか。答 千五百円位で売るつもりでしたと云うのは本件の起る四、五日前から体の工合が悪くて寝て居る処に十一日の夜女の人がふらふらした格好でやつて来て薬を売つてくれないかと云うので私はその女の人を麻薬中毒患者だろうと考えて浅間町の小宮山から買つて来てその女の人に千五百円位で売る約束でした。処がその女の人は後で警官だとわかりました。

との記載があり

原審に提出された任意性に争のない昭和二十六年五月十六日小林検察事務官作成に係る被告人山来の第一回供述調書中、

「十一日午後六時半か七時半頃にどこか知らない女の人が来て始め母に薬の話をして居ましたので私が起きて玄関に出て久保町から来たのですかと云うとそうだ売つて下さいと云いましたので」との記載がある。即ち婦人警察官上原恒子の態度には之等供述に依り相当積極的な動作をして居るのである。

犯罪の予防及鎭圧を職責とする警察職員が職務遂行の外所持する事が出来ない麻薬を売つてくれと申込みその結果被告人が本件麻薬を所持するに至り右所持をもつて公訴提起せられたのであるから明らかな詐術(トリツク)によつたものでありこの様な詐術が検察官の定義した陷穽であるか否かは別としてこの様な詐術にかかつてその結果所持するに至つた場合その所持を処罰の対象とする事が出来るか否かが論議されなければならない。

被告人山来が斯る詐術を受けても之が詐術であると判からずに、一、自由意思で之を拒絶するか。応じたとしても、二、他から買受けて持参して来るか。 三、又は従前から自己が所持していた麻薬を出すか。は警察職員の関知しない処でトリツクの主なる目的はどこまでも既に行はれた麻薬事件の発見捜査にあり、ただ被告人山来の麻薬所持の現行犯は本件の様な捜査の過程に附随的に発生した犯罪であり本件の如く附随的にトリツクに依つて発生した犯罪のみを対象として訴追を行う事が許されるか否かは多大の疑問がある。単なる証拠蒐集の為め警察官が酒類密売所の営業所に行き客の如く装つて酒を買入れる事は犯罪捜査上必要な行為であるかも知れない。之れ即ち単なる証拠蒐集を目的とする行為であるからであり之までも出来ないとする事は犯罪捜査上重大な支障となるからである。然し本件の如く婦人警察官上原恒子の行為はふらふらした格好で麻薬中毒患者を装い被告人が久保町から来たのですかとの質問に対してもそうだと返事をし被告人に安心感を与える等極めて積極的な動作を為し又その行為も防犯の為めの証拠蒐集でなくその行為自体に依つて被告人を逮捕し訴追せんとしたものである。

被告人山来に対する関係では警察職員の行つたトリツクに依り同人が本件の様な所為に出ずる事は十分予見され得る処であつた状態ではトリツクに依り生じた犯罪のみにつき又その犯罪を唯一の目的として処罰する事は犯罪の予防及鎭圧を目的とする警察職員が一方に於ては誘惑にかかりやすい人を導いて犯罪を実行させ堂々と犯人を製造しておきながら一方直ちに之を逮捕して処罰し得ると云う非難は絶対に免れる事は出来ないので憲法第十三条の個人尊重等の規定に違反する行為であるから陷穽された被告人を犯罪者として処罰する事は許されない。

(ロ)検察官は被告人山来は麻薬については利得を目的とする常習的犯行者である事明かであり良い客さえあれば取引する用意のある者であり同人に対し単なるその取引の機会を提供したに過ぎないものであり元来犯そうとも考えていない犯罪を挑発又は誘発しようとしたものではなく被告人の本件麻薬所持に対する一つの動機を与えたに過ぎない点を強調しているのであるが仮令被告人が常習的犯行者であつたとしても犯行をうながす動機を与え之に依り被告人が犯行を為した為め既に行はれた麻薬事件の捜査を為すことなく現実の犯行のみを訴追し万事事たれりとする事は不当である。

仮令犯意を有するとしてもその事だけは処罰されない事は刑法上の原則であり之に対して犯罪行為を誘発する様なトリツクを与え之に基いて犯行を為した犯人をその犯行のみに基き処罰する事は官権偏重の専制警察国家に於てのみ許される事であり現憲法下に於ては違反行為であるとの原審判示は誠に当を得たものである。

捜査機関が犯罪検挙の成績を上げんが為めその他の諸種の動機から同様な手段を用いて罪人を作り検挙を励行したならば世人は何と感ずるであろうか。

(ハ)検察官は「原判決は麻薬事犯の本質に対する洞察を欠き麻薬取締法の特質を理解する事が出来なかつた為め本件被告人の常習性を忘れ公訴事実の麻薬所持なる行為に捉はれてその特定の所持行為のみを眼中におき……」と主張しているが裁判官が被告人山来の本件公訴事実のみを審理する事は当然であるし又その公訴事実に捉はれる事及その犯行の原因を探究する事はむしろ当然いなその範囲を超える事は出来ないのである。検察官の主張は被告人山来は麻薬事犯の常習者であるから今迄の犯行の代りに本件犯行で処罰すると云うに等しい。

論旨第二点に於ては原審判決は法令の適用に誤りがありその誤りは判決に影響を及ぼす事が明かであるとしその主張として

(1) 原審判示のように新たな犯罪の実行を誘発するような陷穽をもうけた行為は捜査行為でありその行為の適不適は刑事訴訟法上又はその他の法令上検討さるべきで適法な捜査行為であると認める事が憲法に違反するかどうかの問題を生ずるのであるに拘らず本件の具体的な捜査行為が直接憲法の法規に違反すると云う事は憲法の条規は具体的な当該行為の適不適又は有効無効を規定したものであると云う事になる。

(2) 本件捜査行為は普通の刑事犯の誘引とは異り既に潜在的に存する犯罪を顕在にまでもたらすものであり麻薬取締法第五十三条の趣旨も特に捜査の方法として麻薬の譲受行為が許されているのである。一般の司法警察職員に於ても本件程度のことは刑事訴訟法第一八九条殊に同法第一九七条によつて「捜査に必要な取調」として容認されて居る。

と云うのである。

(イ)新たな犯罪の実行を誘発する様な陷穽を設けた事が捜査行為として刑事訴訟法その他の法令上検討されてはじめて適法な捜査か又は違法な行為であるかが決せられるとするも刑事訴訟法に於ては必要な捜査は許されているとは云え必要な捜査の範囲はいかなる程度かは刑事訴訟法上明かではなくあくまで必要な捜査でありその限度は日本国憲法が国民に保障する基的本人権を侵さない範囲であり之を侵した場合は常に必要な捜査ではない違法な行為である。即ち何が必要な捜査であるか何が基本的人権を害する事になるかは憲法によつて判断さるべきである。

(ロ)検察官は本件の如き誘引捜査は普通の刑事犯の場合と異り麻薬事犯の如きはその性質上必然的に隠秘性を有する為め既に潜在的に存する犯罪を顕在に迄もたらす方法として有効であるのみならず時としてはむしろ不可欠である点を強調しこの趣旨から麻薬取締法第五十三条に於て麻薬取締官が麻薬の譲受をする事が出来る事はこの方法をとる事を認めたものである。一般司法警察職員も捜査の為めには斯る方法をとる事は許さるべきであると主張しているが犯罪の隠秘性は特に麻薬事犯に限らるべきものではなく又麻薬取締官がその職務遂行上麻薬を所持するに至るも之は当然刑法第三十五条に該当するものであり麻薬取締法第五十三条があるが故に麻薬所持罪が成立しないものではないと共に同条からして麻薬取締官が麻薬犯罪捜査の為如何なる手段誘引を採るも差支ない事を正当化するものではないのである。即麻薬取締官が麻薬事犯捜査の為新たに犯罪を誘発する様な詐術を用いてその結果麻薬を所持するに至つたものを逮捕し所持罪として処罰する事が該当であるかに付肯定する根拠とはならない。勿論一般司法警察職員についても「捜査に必要な取調を行う事が出来るのであるが(刑事訴訟法第一九七条)此処に云う取調に際し職務遂行上麻薬を所持する事は正当行為として刑法第三十五条の適用を受け得るも捜査の手段として新たな犯罪の実行を誘発する様な詐術を用いて第三者がその結果麻薬を所持するに至つた事を理由としてその所持に対して逮捕処罰出来るかは仮令その様な事が捜査の方法であるとしても捜査上必要な取調と云えるか否かは多大の疑問がある。

要するに新たな犯罪の実行を誘発する様な詐術を用いてその結果新たな犯罪を実行したものを逮捕、処罰すると云う矛盾極りない措置が妥当であるか否かにある。斯る方法は基本的人権を侵すものである。論旨第三点に於ては原判決は抽象的危険性に対する解釈を誤つた為め法令の適用に誤りを犯しその誤りは判決に影響を及ぼすべきこと明かであるとし麻薬取締法の所持罪は所謂抽象的危殆犯であり斯る行為に一般的危険が附随するものと思料して之を犯罪なりと宣言したものであり、麻薬所持は譲渡の相手方又は更に譲渡さるべき人々に対する犯罪ではなくてそれ自体が社会一般に対する犯罪であると主張して居る。検察官は麻薬所持罪の所持はそれ自体が社会一般に対する犯罪であると云う。社会一般に対する犯罪とは如何なる犯罪であろうか。それは麻薬の所持そのものが社会一般の人に対し人の健康に有害な影響を与え又は与え得る機会があるからであり即危険の可能性があるからである。斯る行為に一般的危険が附随するものとして之を犯罪なりと宣言したものである。本件被告人の麻薬所持については所持しているとはいえ之は詐術に落入つたが為め所持したのであり更にこの麻薬については押収すべく万全の手配が講ぜられており一般の所持の場合と異り完全自由に処分し得る所持ではないのであり一般に危険を及ぼし得ない所持なのである。

検察官は抽象的危殆犯に属する道路交通取締法に於ける自動車の速度違反の如く各個の具体的な場合には何等公共の危険を生じないものがある事を述べているがその例を述べていない。この場合にも何等公共の危険を生じないのではなくこの場合にも公共の危険が起り得る状態があるのであると思料する。

本件の場合は原審判示の如く被告人の取得し所持する麻薬については押収すべく万全の手配が講ぜられているのであり不法所持罪として速断するのは失当である。

以上の理由に依り控訴趣旨は理由がないと思料する。

(被告人小宮山幾男の弁護人柿原茂男の控訴趣意は省略する。)

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